Hedi Slimane (1968- )
1968年7月5日、チュニジア人の父、イタリア人の母の元に産まれ、パリで育つ。
11歳でモノクロ写真を撮り始め、16歳で自分の洋服を造り始めた。
準備学級で<Sciences-Po>パリ政治学院への入学を目指すが、最終的に彼はパリ大学のミケーレ研究所とルーブル美術学校でアート史を学ぶ。その間も、写真家活動は続け、街中でモデルハントも行ってもいた。
その後、1992年から3年間 Jean-Jacque Picart のアシスタントとしてLouis Vuittonのモノグラムキャンバス100周年プロジェクトに参加した。
1996年にPierre Bergeの誘いを受け、メゾンYves Saint Laurentのメンズプレタポルテのアーティスティックディレクターに就任しメンズウェアのデザイン、Yves Saint Laurentのデニムライン<Saint Laurent Jeans>の設立に貢献する。
Black Tieと名付けられた2000-2001秋冬コレクションでは彼の特徴となるシルエット、スキニースタイルを発表し、メンズウェアの世界に大きな衝撃を与えた。しかし、その直後メゾンYves Saint Laurentを離れることになる。Jil Sanderからの誘いも有ったが、メゾンChristian Diorのメンズライン立ち上げに携わり、Dior Hommeのクリエイティブディレクターに就任する。
彼がDior Hommeのデビューコレクションで発表したのは、故Christian Diorへのオマージュではなく、古巣の長Yves Saint Laurentへのオマージュであった。このショーにはYves Saint Laurent本人も参列しておりYves Saint LaurentとHedi Slemaneの絆を垣間見ることができた。
その後6年間、Dior Hommeのクリエイティブディレクターとしてデザインの指揮を取り、Kris Van Asscheなど多くのデザイナーを育て上げた。
スキニーデニムとジャケットを合わせるスタイルや、メンズのヒールブーツ、アヴィエーターブルゾンをモードに昇華する等、男の服装に新しい提案を行う。男女問わず彼の作るクリエイションのファンは多く、メンズウェアのブランドでレディースサイズを発売することになった。
2007年に彼がDior Hommeを離れた理由は、彼がレディースウェアのデザインをすることを望んでおり、当時John Gallianoがデザイン指揮を取っていたChristian DiorをHedi Slimaneには任せられないと言われ、契約更新にならなかったと言われているが…
その後、写真家として活動を続けていたが、2012年メゾンYves Saint Laurent 全ラインのアーティスティック・クリエイティブディレクターとしてファッション界に復帰する。